2011年は、42歳にしてゴルファーにとっての世界最高の舞台ともいわれる米国マスターズ・トーナメントに出場。翌2012年には、自身初の賞金王を獲得。そして、49歳を迎える2018シーズンもレギュラーツアーに参戦予定という息の長い活躍が人気のゴルファー、藤田寛之プロ。芹澤信雄プロに師事し、現在のチームセリザワ発祥のきっかけとなった人物でもある。世界への扉を開いた男の現在・過去・未来を、真摯に語っていただいた。

THE TIME
〜こだわりの時間〜
11:30 AM

妻との昼食

週に一度の語らいの時間

ツアー中のゴルファーにとっては、月曜日が唯一リラックスできる曜日。火曜から日曜夕方までは試合ですからね。とはいっても、月曜日もだいたい流れが決まっています。自分の場合は家で休養するのではなく、所属の葛城ゴルフクラブは必ず訪れて、トレーニングをしています。そのために8時までには、クラブと同県内に構えている自宅を出る。ですので、朝は割と慌ただしいんです。家族と朝食をとって子供たちを見送ったあと、つかの間、妻とコーヒータイム。9時から11時、場合によっては13時くらいまで、トレーニングとケアをして帯同した妻とランチタイムです。だいたい早くて11時30分、遅いと13時30分くらいですかね。ここで、お互いにある種の情報交換です。1週間のなかでは、このリラックスタイムがかなり貴重なんですね。ゴルフは、1週間の拘束時間が長いスポーツですから。
練習も四六時中トップギアというのは難しい。自分の場合は、家族との時間を大事にしながら、オンとオフを切り替えてトレーニングに臨んでいます。スイッチの切り替えが、これで意外とできているのかな。

若い頃、夢中に実践した
ゴルフ漬けの日々が宝物ですね

大学卒業後、プロへの道を選びました。その経緯は?

最初にゴルフに熱中したのは、高校の3年間です。父の影響から知ったゴルフですが、小・中学では、野球をやっていました。ただ、進んだ高校の野球部が強くないということもあって、ならば中学時代に少しかじったゴルフに専念してみようと。結果ジュニアの大会で全国4位という好成績を収めることができまして。振り返るとこれが大きかった。結局、専修大学にゴルフのセレクションで進学。その後、プロへの進路を決めたのは、大学時代の努力もあって全国レベルに引っかかっていたというのも大きな決め手です。就職という選択肢も一度は視野に入れましたが、ここまで打ち込んだゴルフ。やるならプロに挑戦してみようと。

努力家としても知られる藤田プロ。実際、プロテストに向けては、どのような取り組みをされたのでしょうか。

大学の手引きで葛城ゴルフクラブを紹介してもらい、卒業した春から研修生としてプロを目指すことができました。この環境は恵まれていたと思います。夢に向かって真っ白なキャンバスのような状態。夢を描き出すためにも、一にも二にもひたすら練習です。とにかくやるだけ。何にも惑わされず、ただまっすぐゴルフに打ち込めたこの時期は、非常によかったと思っています。そして、その秋にはプロテストに一発合格。下積みが長いと同じテンションで打ち込み続けることも難しくなるかもしれないと思えば、早くにプロに進めたのは、何よりうれしかったですね。
何事にも上達するには、朝から晩までバカみたいに打ち込む時間が必要だと思います。僕にとっては、まさにこの研修生時代と、ジュニアで全国4位となった高校時代がそう。高校時代は、日々上手くなって行くことが楽しくて夢中になれました。そうした密度の高い練習を毎日続けると、必ずどこかで著しく上達を実感できるブレイクスルーポイントがあります。これら若い頃の努力はゴルファー人生の宝物ですね。

仕事としてのゴルフは大変。
今年は藤田のゴルフで
活躍したい

藤田プロにとってゴルフとは? 

やはり仕事です。ゴルフを仕事にできて羨ましい、なんて言われることもありますが、そりゃ大変ですよ(笑)。高校時代に純粋に打ち込んだそれと、プロの仕事として取り組むそれは、違います。仕事を離れれば、白い球を豪快に飛ばしたり、繊細に寄せてみたりと、ゲームとして単純に面白い。ただ、仕事としてのゴルフは、とにかく結果が命。さらに、一生懸命なら何でも許されるというものじゃない。このプレッシャーが仕事としてのゴルフ。とにかくゴルフそのものに向き合わないといけない。
それには、メンタルのケアが大事。そこでチームとして取り組んでいる僕らの「チームセリザワ」が生きてくる。芹澤さんという師匠がいて、宮本勝昌という生涯のライバルもいる。そして今は、若手プロも参加して、縦横立体的にコミュニケーションが取れています。自分をコントロールしてゴルフを楽しむ。刺激を受けたり、助けをもらったり、本当に素晴しい仲間たちでもありますね。

年齢とゴルフについて。賞金王獲得以降、何かが変わりましたか?

マスターズの出場、賞金王の獲得など、心身が充実していた30代後半から40代前半です。その時期は、海外のメジャーにも出られて、大会の素晴らしさを知って、そこでまたプレーしたいという思いが強まります。とにかく世界レベルのプレーを、と自身を高めた結果、賞金王という結果がついてきました。ただし、45歳を超えた頃から、やはり心技体のバランスが異なり始めていますよね。だから、せめぎあいです。40代で第一線のゴルファーは極端に少ない。怪我も増えてきます。そのなかでもプレーできている充実感はあります。 ゴールはないですが、現役でい続けることがベスト。たとえ結果は残せなかったとしても、「藤田のゴルフ」を記憶に残せたらと思います。そういうゴルファーでありたい。応援してくれる人がいれば、存在する意味もあるのかなと。

これからの藤田プロは?

2018年は優勝争いに絡んで、テレビに藤田出てきた、って喜ばれるように活躍したいです(笑)。長期的には、「ゴルフを通じて心を刺激する」をコンセプトにヤマハで現在ジュニアを教えていますが、そうした後進の指導も充実させてゴルフ界に貢献したいですね。

時計は自分へのご褒美案外ミーハー気分で着けてます

時計は大好きですね。師匠と仰ぐ芹澤さんの影響。ゴルフ以外でも感化されちゃいました(笑)。着用してプレーする姿が格好良くて真似したんです。成績的にご褒美として買うことが多いですね。好みの一貫性はないですが、とにかくその時に「格好いい」と思った時計を。雑誌などを眺めたりして感覚で決めます。結構ミーハーですよ。価格は、ご褒美なので、頑張りに応じてですね(笑)。
コルムの時計は、海をイメージさせるデザインがいいですね。海遊びは、ゴルフが忙しくて難しいんですが、船が大好きなんです。船舶免許もいつかは、と考えるほど。だから、この国際信号旗のデザインや、ブルーベゼル&白ダイヤルが船や海を匂わせる点が好きです。12角形に基づいた、スポーティで精悍な顔つきがとっても素敵。腕元が華やぎますね。

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プロフィール

1969年福岡県生まれ。葛城ゴルフクラブ所属。1992年プロに転向し、初優勝は1997年のサントリーオープンにて。2000年代より年を重ねるごとに成績を上げ、2012年には、年間4勝を挙げて賞金王を獲得する。年間3勝を挙げた2014年を最後に優勝から遠ざかっているが、常に進化を続けている。今季もまだまだ期待がかかる人気ゴルファー。

Photography: Yoshinori Eto
Text :Masashi Takamura